◇  第一章  マーケティングの危機-----お金では解決できない!  ◇

◆ もはや広告の出番はない!

  私は、初めてテレビを一所懸命見はじめた頃、つまり、5歳の頃を、思い出す。
主なチャンネルはたったの3つしかなかった。つまり、2、4、そして7チャンネルだ。時にはパブリックチャンネルやUHFの冒険番組を見ることもあったが。
そうそう、毎日、学校から帰ったら、29チャンネルでウルトラマンを見ていたっけ。

  5つしかチャネルがないのだから、テレビ番組表を覚えるのはわけないことだった。中でも私のお気に入りは「ザ・マンスターズ」と、数々のテレビ・コマーシャルだった。まぐろのチャーリーやトニー・ザ・タイガー(訳注 いずれもテレビコマーシャルのキャラクター)、楽しいゲームは、まるで魔法のように私を夢中にさせた。

  私が育った環境はみんなと同じコミュニティ内だった。私たちは同じコマーシャルを見、同じ商品を買い、同じテレビ番組について話題にした。マーケティングは、単純なものだった。気のきいた商品を開発し、たっぷりと予算をかけてテレビで宣伝すれば、店頭の棚の一角を占めることができる。もしその広告がうまくヒットすれば、商品は、売れた。単純明解な世界。

  十年ほど前、私はこの潮流が変わりつつあることに気がついた。とうの昔に私はテレビ番組表を覚えることをやめたし、読むべき雑誌すべてに目を通しておくことも不可能になっていた。そこにプロディジーや本のスーパーストアが出るに及び、メディアに追いついていくことが、とうてい不可能であることに、がっかりした。

  封も切らずに捨てる雑誌が増えてきた。テレマーケティング担当者たちの勧誘の電話にも勇気を持ってNOと言うことができるようになった。ボブ・ディランの新譜を知らなくても死なないし、ニューヨークのどこそこのレストランが素晴らしくて、そして実際その何軒かが自宅の近所にあったとしても、別に気にならなくなっていた。

  混乱はますます進んでいる。その証拠に、今日あなたが出会ったマーケティング・メッセージはいくつあるか、数えてみるといい。Tシャツの胸にくっついているでっかいブランドネーム、パソコンについているロゴ、起動時にモニターに写るマイクロソフトの文字、ラジオやテレビの広告、空港で見る看板、車のバンパーについているステッカー、ふと広げた地方紙に載っている広告。

  90年ものあいだ、マーケティング担当者たちはある一つのマーケティング手法のみに頼っていた。私はそれを「土足マーケティング」と呼んでいる。つまり、広告を見るものが何を考えていようが(何も考えていまいが)心の中におかまいなしに「土足で」ずかずかと上がり込む、おなじみの手法である。



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