第9章 パソコン誕生前夜

 〜共同の装置から個人の道具へ
■ 新たな価値観の誕生
時代
1970年代(3)
1977年〜1979年
●米国の若者文化 ●日本の若者文化
米国の若者文化 TOP
 1970年代、米国の若者たちによる新たな文化が生まれ、それはまたたく間に世界へと広まった。

■闘争から愛と平和へ
 1960年代初頭の公民権運動※5から生まれ、ベトナム反戦運動へと引き継がれたプロテスト・ソング※6、反政府デモや集会によって荒れたキャンパスから生まれたヒッピー文化、ヒッピー文化とロック音楽から生まれたアメリカン・ニューシネマ※7などなど、既製の価値観は若者によって大きく揺り動かされた。 “戦争と勝利によってもたらされた平和”を表すVサイン(ピースサイン)※8の代わりに、3本の指を立ててWar(戦争)を意味するWの字を作り、それを上下逆さまにして“反戦”を示す新しいピースサインが生まれた。 さらにこれを平和のシンボルである鳩の足跡にデザインしたプリント・Tシャツが、1971年にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開かれたバングラデシュ・コンサートで流行する。今も健在なスマイリー(ニコニコマーク)も、この時代に生まれた。時代の風は、反戦・反権力から“愛と平和”へと移り変わっていった。 

 

 

 

 
※5 住居、選挙、雇用など生活のあらゆる面で行われていた人種差別に抗議し、黒人にも白人と同等の権利を与えるよう主張した米国の運動。
 
※6 政治的な主張を託したメッセージ性の強い自作自演の歌。ピート・シーガーの“花はどこへ行った”(Where have all the flowers gone?)やジョーン・バエズの“ドンナドンナ”(Donna donna)などが有名。ボブ・ディランはちょっと違う。
 
※7 “イージーライダー”(1968年、米、デニス・ホッパー監督)に代表される新感覚の若者映画。
 
※8 敗戦直後の日本にGHQ司令官として赴任したダグラス・マッカーサーが、指を2本立てて“Victory”を示したのが始まりと言われている。日本では井上順が流行させた。
■切実な状況が生んだ自由
 敗戦後、平和国家としてそれなりの繁栄を取り戻した日本のベトナム反戦運動は、“戦争への間接的加担”に対する批判をベースにしていた※9。対して朝鮮戦争、ベトナム戦争と休む間もなく闘い続けてきた米国のそれは、“もうごめんだ”“戦争に行きたくない”という若者たちの切実な願いが原動力となっている。 国を採るか自分を採るか、繁栄を採るか衰退を採るか、勝利を採るか敗北を採るか――“戦争は悪いことだ”などという短絡思考の入り込めない状況の中で彼らは葛藤し、物質文明、生産と消費のメカニズムなど、これまで正しいと信じられてきたことに疑いの目を向け始めた。 争うこと、所属することを拒否した彼らは、映画や音楽を通じて自由と平和のメッセージを伝え始める。公民権運動の掲げた“政治的自由”ではなく、あらゆる権威や規制の価値観から独立した“精神の自由”が、この時代のテーマとなった。
 
※9 ベトナム特需によって経済が成長し、さらに日本の米軍基地から北ベトナムへの爆撃機が飛び立っていった。

日本の若者文化 TOP
 日本は米国の影響を数年遅れで受けているが、まったく同じ流れをトレースしたわけではない。敗戦〜高度成長へと続く日本経済の流れは、この時代に独特の無力感を生んでいる。

■フォークソング・ブーム
 1960年代の中頃あたりから、日本でもフォークソング・ブームが沸き起こった。ルーツは米国の公民権運動やベトナム反戦運動と連動したプロテスト・ソングで、ギターを抱えて社会的メッセージを込めた歌を歌うというスタイルが出来上がる。 マスコミ向けの“トゲのないフォークソング”や大学生グループの“カレッジ・フォーク”が大きなブームとなるが、それとは別に新宿駅西口広場でフォーク・ゲリラと呼ばれる集団が大集会を開いて機動隊と衝突するなど、若者の音楽活動が社会現象となった。 そういった流れの中から、自主制作レコード(今で言うインディーズ・レーベル)によってテレビやラジオから隠れた活動を行う人たちが現れ、アンダー・グラウンド――略して“アングラ”と呼ばれた※10。 この流れは、1960年代の半ばから終わり頃、既存の演劇への批判から湧き起こったアングラ演劇※11とも微妙に絡み合い、新しい文化が生まれた。
 
※10 “アングラ”という言葉は、マスコミから隠れた場所で行う表現活動の総称として、それを流行させるためにマスコミが用いた言葉。
 
※11 唐十郎らの紅テント、佐藤信らの自由劇場、寺山修司率いる天井桟敷など、数々の小劇団が生まれた。
■反戦フォークからニューミュージックへ
 1970年代に入ると、若者の生活観は大きく変貌する。東大安田講堂事件※A を一つの頂点として学生運動は活気を失い、キャンバスには“しらけ”ムードが漂った。正面切って天下国家や政治について論じるのはダサく、政治や社会に関心を持たないことが格好いいとされる風潮が強まる。 1960年代の学生運動家たちに支持されたヒーローは、東映やくざ映画※12の高倉健だった。黙して語らず、自らを犠牲にしても世の中のために戦う――というタイプの英雄である※13。ところが1970年代の後半に入ると、ヒーロー自体がいなくなってしまう。若者の関心は“社会”から“自分のこと”へと向けられた。 井上陽水の“傘がない”など、フォークソングから派生したニューミュージック※B が流行した。男性ファッション誌が創刊され、男も“見た目”を気にするようになったのもこの時代だ。
※A 講堂を占拠した学生と警視庁機動隊との攻防が続き、最終的に機動隊が突入して学生たちが逮捕された。

※12 1964年の「日本惟客伝」、1965年からの「網走番外地」シリーズなど、任侠心にあつい“よいやくざ”が苦難に耐えながらも悪者をやっつけるという筋書きの娯楽映画。
 
※13 高倉健の役どころは、任侠心にあつく、寡黙なやくざ。正義を貫くため黙々と耐える姿が、学生運動家たちのシンパシーを集めた。

※B “ニューミュージック”の命名者は、音楽評論家の三橋一夫氏。
■星飛雄馬と矢吹丈
 この傾向は、劇画・漫画の流行にも顕著に現れている。1960年代の後半は、1966年に少年マガジンで連載開始され、2年後の1968年にはテレビアニメ化されて大ヒットした「巨人の星」(原作・梶原一騎、作画・川崎のぼる)は、厳しい父親から猛特訓を受けながらジャイアンツのエースへと上り詰めていく星飛雄馬の物語。これを契機にスポーツ根性ものが大流行する。 その潮流の延長として同じ少年マガジンで1968年から連載開始され、1970年にテレビアニメ化されたボクシング漫画「あしたのジョー」(原作・高森朝雄※14、作画・ちばてつや)では、宿命のライバル力石徹を失った※15主人公矢吹丈が目標を失い、最後にはパンチドランカーとなって力尽きてしまうところで終わっている。 貧しい境遇の中でボクシングと出会って努力の末頂点へと上り詰め、最後には目標を失って燃え尽きてしまう――そんな主人公の生き様は、まさに戦後の復興から高度成長を経て、行き場を失った日本の状況そのものだった。
 
※14 高森朝雄は梶原一騎のもう1つのペンネーム。
 
※15 物語の中で力石徹が死んだとき、出版社で葬儀が行われた。漫画の主人公の葬儀は、後にも先にも例がない。これを取り仕切ったのは、アニメの主題歌を作詞した寺山修司。