| 第7章 未来を夢見た時代 〜考えるコンピュータの模索 |
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| ■ 万博とオイルショックの明暗 |
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1970年代(1) 1970年〜1973年 |
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| ■消費から節約、モーレツからビューティフル | |||
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| ■緩やかな下り坂へ | |||
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| ■スペースマンX'70の衝撃 | ||
| 1970年、大阪・千里丘陵で開催された万国博覧会(EXPO'70)は、盛大な世界規模のお祭りだった。アメリカ館にはその前年にアポロ11号が持ち帰った“月の石”が展示されており、連日長蛇の列ができた。 電子の造る理想郷 当時中学生だった筆者が最も印象に残ったのは、古河電工が設置した古河パビリオンのコンピュータ館だった。 特にコンピュータ・マニアだった訳ではない。今は小学生のときからパソコンを触っていた人が立派な大人になっていたりする時代だが、当時はコンピュータという言葉さえ耳新しかった時代である。パソコンなど、影も形もなかった。 古河電工の掲げたテーマは“古代の夢と現代の夢”。金色に輝く東大寺・七重の塔を模した建物の中に、最先端のコンピュータ・システムが提示されていた。そこで使われた言葉が“コンピュートピア”だ。 コンピュータとユートピアの合成語で、“コンピュータで築く理想の未来”を意味していた。コンピュータという言葉が日本で一般に用いられるようになったのは、おそらくこの頃からだったろう。1960年代の終わり頃まで、実用に供される機械は“電子計算機”、SFの世界でロボットの中に埋め込まれている装置は“電子頭脳”だった※12。 音声認識コンピュータ 古河パビリオンには、3台のコンピュータシステムが展示されていた。 1台は、プログラムによって音楽を奏でるコンピュータで、その名も“ヨハン・エレクトロニクス・バッハ”。もう1台は電車運転のシミュレーションを行うコンピュータで、モノクロのグリーン・ディスプレイに線路や駅のフォームがワイヤフレームで描画されていた。そして最後の1台が、人間の声を識別するコンピュータ“スペースマンX'70”だ。当時の説明では、銀行などの本人確認に使う目的で研究されていたということだった。 マイクに向かって自分の氏名を発声し、同時にその顔をビデオテープに録画しておく。これを数名分繰り返してデータを蓄積し、あとからもう一度氏名を告げると、その声の主の顔がテレビ画面に再生される――という、音声認識といっても(今から思えば)至って単純な仕掛けだった。 どのメーカーの何というマシンかは覚えていないが、どれも、非常に大がかりなコンピュータだった。まだ実験・開発中とはいえ、この3台のコンピュータが見る者に夢を与えたのは確かだ。 今ではノートパソコンでさえ、音楽を奏で、3DCGのゲームができ、人間の声を聞き分けるようになった。30年の間に技術は驚くべき進歩を遂げ、人は夢多き少年から、ただのオジサンになるのである。
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