第7章 未来を夢見た時代

 〜考えるコンピュータの模索
■ 万博とオイルショックの明暗
時代
1970年代(1)
1970年〜1973年 
■消費から節約、モーレツからビューティフル
 1970年代は、“人類の進歩と調和”をテーマとした大阪万国博覧会(万博)で幕を開けた。その明るく希望に満ちたテーマとは裏腹に、この年は“赤軍派による日航機よど号ハイジャック事件”、“三島由紀夫、陸上自衛隊・市ヶ谷駐屯地で割腹自殺”、“ヨルダンのパレスチナゲリラ掃討作戦(黒い9月)”、“東京で初の光化学スモッグ注意報発令”――などなど、暗い話題、きな臭い話題に溢れていた。 万博の興奮と熱気がまだ覚めやらぬ頃、OPEC(石油輸出国機構)が原油価格を4倍に引き上げた。これによって第1次石油危機(オイルショック)が訪れ、ガソリン・灯油など石油製品の価格が高騰。 石油不足の影響はそれだけにとどまらず、紙不足など生活必需品を巻き込んだ物資不足へと発展し、市場はパニック状態となった※10。
 
※10 現実に不足した商品もあったが、商社が市場操作のため商品を倉庫に隠したことが、紙不足の主要因だった。
■緩やかな下り坂へ
 石油危機は、我々に生産と消費のサイクルを見直させた。ガソリンスタンドの日曜・祝日休業、テレビ深夜放送の自粛、夜間照明の削減などなど、右肩上がりの高度成長に翳りが見え始めたのだ。 目まぐるしい技術革新の波に埋もれていた公害問題がクローズアップされ、地球資源を消費し尽くすことを反省する風潮が生まれる。 1960年代の“消費は美徳”から、“節約は美徳”へと価値観を切り替えるキャンペーンが張られ、富士ゼロックスはテレビCMで“モーレツからビューティフルへ”というメッセージを流した※11。 政治、経済、戦争――と、人類ががむしゃらに登ってきた急坂は、1970年の大阪万博を頂点としてなだらかな下りに転じた。ベトナム戦争の終結、沖縄返還、日中関係の改善など明るい話題が持ち上がってくるのは、それから2年ほど後のことである。
 
※11 “モーレツ”は、復興と経済成長を目指してがむしゃらに働いた1950〜1960年代を象徴する言葉。モデル出身の小川ローザが超ミニスカートを風に煽られ「オー、モーレツ!」という、丸善石油(現コスモ石油)のハイオク・ガソリン“100ダッシュ”のテレビCMで流行。休みも取らずに働くサラリーマンを“モーレツ社員”と呼んだ。
■スペースマンX'70の衝撃
  1970年、大阪・千里丘陵で開催された万国博覧会(EXPO'70)は、盛大な世界規模のお祭りだった。アメリカ館にはその前年にアポロ11号が持ち帰った“月の石”が展示されており、連日長蛇の列ができた。
 
電子の造る理想郷
 当時中学生だった筆者が最も印象に残ったのは、古河電工が設置した古河パビリオンのコンピュータ館だった。 特にコンピュータ・マニアだった訳ではない。今は小学生のときからパソコンを触っていた人が立派な大人になっていたりする時代だが、当時はコンピュータという言葉さえ耳新しかった時代である。パソコンなど、影も形もなかった。 古河電工の掲げたテーマは“古代の夢と現代の夢”。金色に輝く東大寺・七重の塔を模した建物の中に、最先端のコンピュータ・システムが提示されていた。そこで使われた言葉が“コンピュートピア”だ。 コンピュータとユートピアの合成語で、“コンピュータで築く理想の未来”を意味していた。コンピュータという言葉が日本で一般に用いられるようになったのは、おそらくこの頃からだったろう。1960年代の終わり頃まで、実用に供される機械は“電子計算機”、SFの世界でロボットの中に埋め込まれている装置は“電子頭脳”だった※12。
 
音声認識コンピュータ
 古河パビリオンには、3台のコンピュータシステムが展示されていた。 1台は、プログラムによって音楽を奏でるコンピュータで、その名も“ヨハン・エレクトロニクス・バッハ”。もう1台は電車運転のシミュレーションを行うコンピュータで、モノクロのグリーン・ディスプレイに線路や駅のフォームがワイヤフレームで描画されていた。そして最後の1台が、人間の声を識別するコンピュータ“スペースマンX'70”だ。当時の説明では、銀行などの本人確認に使う目的で研究されていたということだった。 マイクに向かって自分の氏名を発声し、同時にその顔をビデオテープに録画しておく。これを数名分繰り返してデータを蓄積し、あとからもう一度氏名を告げると、その声の主の顔がテレビ画面に再生される――という、音声認識といっても(今から思えば)至って単純な仕掛けだった。 どのメーカーの何というマシンかは覚えていないが、どれも、非常に大がかりなコンピュータだった。まだ実験・開発中とはいえ、この3台のコンピュータが見る者に夢を与えたのは確かだ。 今ではノートパソコンでさえ、音楽を奏で、3DCGのゲームができ、人間の声を聞き分けるようになった。30年の間に技術は驚くべき進歩を遂げ、人は夢多き少年から、ただのオジサンになるのである。
※12 日本の役所では、1980年代の終わり頃まで“電算処理”“会計機”(事務処理用パソコンのこと)などという言葉が公文書に用いられていた。