第5章 FORTRAN、COBOLからの決別

 〜ヒトと機械をつなぐもの
■普及するコンピュータ
技術
1960年代(2)
1964年〜1966年 
●小型・高性能・低下価格の時代 ●2つの問題
■両雄割拠時代の終焉
図5-1:IBM社2250のディスプレイモニタ
 1960年代初期〜中期にかけて稼働していたコンピュータは、航空管制システムなど一部の専用機を除いて、どれも大型のいわゆる汎用機(メインフレーム)だった。 専門のオペレータが入出力処理を行うか、あるいは複数の端末装置をつなげて共同利用するのが一般的な使い方で、入力装置にキーボード、出力装置にキャラクタ型のディスプレイモニタ※1が使われるようになったため作業効率は向上したが、大規模な計算をこなす機械という位置付けは変わらなかった。 プログラミングの世界では、科学技術計算のFORTRANと事務計算のCOBOLが両雄として君臨していた。当時の一般的な使い方では、FORTRANとCOBOLさえあればアプリケーション開発に当面は不自由しないはずだった。 しかし、半導体技術が向上して集積回路が市場に出回り、それを組み込んだコンピュータが登場し始めると、事情は少しずつ変わっていった。
※1 現在のようにグラフィックスを用いるのでなく、予めハードウェアに埋め込まれたアルファベット、数字、記号などの単一文字(キャラクタ)を表示するディスプレイ装置。1画面の桁数はパンチカードにならって80桁で、25行程度表示できた。

小型・高性能・低価格の時代 TOP
 真空管からトランジスタ、トランジスタから集積回路…と、電子回路はどんどん小型化していった。そしてコンピュータは、小型・低価格化を実現した。

■集積回路の恩恵
 特に集積回路が登場してからは、基本的な技術を変えることなく集積度を向上していくことで、電子部品が急速に小型化できることとなり、コンピュータの小型化に拍車がかかった。 集積回路の量産体制が整備されると、これまでの大がかりなコンピュータばかりでなく、規模と処理能力を落とした低価格なコンピュータも登場した。IBM社のSystem/360シリーズやDEC社のPDPシリーズなどである。 特にDEC社のPDP-8は、小型・高性能で驚くべき低価格を実現し、大学の研究機関などに受け入れられて5万台を販売した。一般のコンピュータ(汎用機)より小さなコンピュータという意味でミニ・コンピュータと名付けられたが、単に小規模なだけではなく、時分割(タイム・シェアリング)※2システムなど先進的な機能を組み込んだものだった。
 
※2 コンピュータの処理能力を微細な処理時間に分割し、たくさんの処理を同時に行わせるための技術。
■ミニ・コンピュータの登場
 DEC社は、1959年にPDP-1を発売したとき、当時の汎用機がおしなべて数百万ドルという価格であったにもかかわらず、1台12万ドルという破格値を付け、およそ50台を販売した。 コンピュータの小型化に熱心に取り組んでいた同社は、MITのリンカーン研究所と共同で、1962年に“研究者が1人で使う”ことを前提としたLINCというコンピュータを開発している。 ハードウェア的にはパーソナル・コンピュータの原点とも言えるが、どちらかというと後のワークステーションにつながる発想だった。ただ、4万ドルを超える価格であったため、個人用としては高すぎてあまり売れなかった。 その後、DEC社の目指した“小型・高性能・低価格なコンピュータ”という発想は、PDP-8で一気に花開き、多くの企業がミニ・コンピュータ分野に参入する。

2つの問題 TOP
 低価格なコンピュータの登場で、コンピュータのユーザー層はさらに広まり、既存の言語では対処できない状態となってきた。

■教育の推進と開発効率の向上
 当時、高価すぎて汎用機を購入できなかったり、あるいは購入して稼働させていても一部の実務以外には利用できなかった企業や大学が多くあったが、低価格なミニ・コンピュータの登場で、一般社員や学生たちがコンピュータを利用できるようになってきた。 これは歓迎すべきことだったが、同時に2つの問題を浮かび上がらせた。 1つは、プログラム適用分野の分化が進んできたことである。当時、開発環境は科学技術分野と事務分野に、従ってプログラマはFORTRAN派とCOBOL派に、ほぼ明確に分かれていた。いずれかを使えれば、仕事になったのである。 ところが、プログラムに対する需要が増大すると、科学計算/事務計算という分野に収まらない要求も生まれてきた。人材も不足し、開発効率の向上とプログラマ教育の推進が重要な問題となってきた。
■もっと気軽に簡単に
 もう1つは、素人にとってコンピュータが扱いにくい機械であったことだ。一般社会に浸透してはきたものの、コンピュータはまだまだ誰もが気軽に扱える道具ではなかった。コンピュータを自在に扱おうと思えば、最低限、FORTRANやCOBOLなどのプログラミングを覚えなければならない。 FORTRANもCOBOLもそれまでの開発環境に比べれば格段に扱いやすい言語だったが、それでも専門的な知識が不可欠で、誰もが気軽に扱えるものではない。もっと簡単にコンピュータの能力を享受できる環境が求められたのだ。 集積技術の進歩によって処理速度が向上し記憶容量の増大したコンピュータに、新たな夢が託された。