![]() ![]() さて,人間の美意識についてさまざまな側面より考察を試みてきた本稿であるが(おいおい),いよいよ本題の「命名規則」の登場と相成った次第である.と,力みかえっても詮無いことではあるが,ともかく命名規則である.読者に身近なものでは例の「ハンガリアン記法」を思い浮かべていただければよろしい.変数名その他の名前を勝手につけるんじゃないコラ.という居丈高な規則ではあるが,命名規則自体の命名規則がその命名規則に則っていないところが味噌である.笑って許してまうのである.もっとも,これが再帰的に命名されていたりするともはや何が何だかわからないが.ちなみに,読者におかれても,命名規則であれアルゴリズムであれ,画期的なプログラミング上の手法を考案された場合は,さっさと世に問うが正当であろう.たとえば筆者が編み出したのは『市川式プログラミング記法』略して「市川P法」である.音読すると「いちかわぴーほう」である.誰一人採用しないことは自明である.やむをえまい. さて,たかが変数名とてこれだけ立派な法則が設けられているワケで,これが人命にかかわる薬の場合ともなると,きわめて厳密,ではない,深淵なる命名規則に基づいている.そう,「ん」の字である.古より「ん」の字を発音することにより,人間の「気」を強め,薬の服用以前からその効用を深めるという,大変思い遣り深い慣わしがある.「頓服」しかり「万金丹」しかり「キンカン塗ってまた塗って」である.無論今日でもこの伝統は遵守されている.「パンシロン」「パブロン」「ドリスタン」ほらね.「バファリン」「ブロン」「ヒロポン」…まあいい.ところが,何事にも規則には例外というものがあってですね,「わかもと」「ルル」「バイア○ラ」…ううむ.それでは「カコナール」.あれは葛根湯が入っているからそういう名前なのだと云う.では「ストナ」には何湯が入っているのだろう,はて? いずれにせよ,Bibleにもこう書かれている.「はじめに言葉があった」.ヒトが元気になる名前というのは大事である.通勤途中,本誌を携帯している人に時々遭遇する.およそ半分の読者は食いつかんばかりに記事を嘗め廻し,残りの約半数は立ったまま寝てしまいそうな勢いで疲れまくっている.果たしてビジュアルベーシックマガジン,古の命名規則に法ってはいるものの,読者の「気」を強め,元気にする名前でありや否や.完 |
![]() ![]() “季節感が云々”と書いてしまった手前,二月ならではの話題をひねり出そうとしたりもしたが,挫折した. と,いうか思い出してしまったのである.あの扇風機のリモコンの違和感を,である.ああ腹立たしい. かつて当欄でS社のヘッドフォンが変だという主張を展開したことがあったのだが,次はT社の扇風機のリモコンを槍玉にあげる.なるほど季節感に欠けるどころか無視すること極まりないのだが,変なのである.電源ON/OFFのボタンが独立しているのである.そのボタンを押すと,100%当然のことながら扇風機の電源が入る.電源は入るがそれだけである.いいですか? いったい世の中のどこに“扇風機の電源を入れたい”ヒトが居るというのだ.いやつまり涼しい風に当たりたいがために扇風機を使うのであって,「電源など勝手に入りやがれ」という事象でしかないその電源が入らずとも風が吹いてくるのであれば桶屋も儲けモノである. しかも,である.このT社の扇風機のリモコンは,風量の切り替えが一方通行のローテートになっているのである.これは少々説明が必要であるか.風量には弱と強と最強がある.この三者は必ず弱->強->最強->弱(以下繰り返し)の順番にしか切り替えられない.最初は喉が渇いているだろうからぬるいお茶で,徐々に温度を上げ3杯目で本来の温度のお茶を煎じるなら都合もよかろうが,その日は“強”でとりあえず満足してしまい“弱”に戻そうかと思ったらさあどうする.たとえほんの数分の一秒とはいえ“最強”の風を浴びなければならないのでありました.「そりゃー“最強”のその瞬間だけ風の当たらない位置に退避すれば済むことだろう」とお考えの向きもあるかも知れないが,そんな戦闘機乗りかイライラ棒かみたいなことをしてまでどうして扇風機にあたらなきゃならないのか. その点,S社のTVのリモコンはチャンネルのボタンを押しさえすれば,電源が入ったのちにそのチャンネルが映ってしまうので安心である.さすが“世界のS社”,ヘッドフォンは少々変だが,こういう肝腎なところにこそ配慮が,と,思って我が家のビデオ(偶然にもT社製)のリモコンを操作すると同じ動作になっている.ううむ.企業の姿勢ではなく製品種別の習慣なのだな,恐らく.ユーザーインターフェイスとはかくも面妖なモノであったのだろうか.たとえて云うなら“朝起きて支度をして,さて出かけるか.というところで目が覚めた”という,いや全然違いますけれど. ついでにもうひとつ.首都圏ローカルな話題で恐縮だが,最近地下鉄のホームに設置されつつある電光掲示板に表示されている時刻.あれが現在時刻なのである.次の電車の到着予定時刻では“ない”.いったいどこの誰が地下鉄のホームの電光掲示板に次の電車の到着時刻より現在時刻を期待すると思うのであろうか.ちなみにJRほか私鉄各社はおおむね到着予定時刻の方を表示している.さすがに抗議も多いのか「現在時刻」と貼り紙をしている駅も見掛けるようになってきた.そりゃあそうだろう.“型が不正です”とか“正しくインストールされていません”とか,知りたいのはそういうことではないのだよ… |
![]() ええと,これが読まれている頃には泣いても笑っても全国的に1999年であろう.と,云うようなコトを2月号の原稿として12月のうちに書いてしまわねばならんのである.難儀なことである.ともあれ,また新しい一年を迎え読者諸兄におかれては期するところもそれぞれであろう.「今年はService Packの正しいあて方をマスターするぞ」とか何とか.よもや“新しい一年”が初めてという読者はいないものと推測するが.などといつまでも本論に入ろうとしないのはナゼかと云うと,お約束の年末進行なのである.締め切りが早いのである.何にも準備していないのである(じゃあひょっとして今までは準備してアレだったのか,などと酷薄なことをほんの少しでも考えてはいけない).よもや我と我が身にふりかかってくるとは想像だにしなかった事態に呆然としているのである.このまま呆然としていると,文字の埋まっていないところが書店に並んでしまってだね,妄言虚語なのか何なのか判らなくなってしまうのである.何とかしなくては. 普通はどうするかと云うと,「著者急病(取材)のため休載」とか,「字を大きくする」とか,「挿し絵を入れる」などの対策が考えられる.と,編集部に相談したところ,そうでなくても忙しいところにいったい何を考えているのか少しは恥ずかしいと思わないのか,蛇蝎でも斯くやと云わんばかりに睨まれたため, ![]() で,まあ白紙を残すのも勿体ない.ここはひとつ新年にふさわしく1999年のカレンダーを以下一挙掲載(リスト1)…と云う原稿を渡した日にはどういう仕打ちが返ってくるか判らんのでこれもあきらめた次第である.書いている本人が無事1999年を迎えられなくなってしまっては洒落にもならん.しかし,この雑誌の弱点のひとつとして“季節感に乏しい”ことを指摘するのは愚生のつとめであろう.カレンダーが駄目ならば,“福笑い”あるいは“双六”(以下削除) |
![]() Windows2000かあ.云われてみればそれも大アリな製品名ではあった.と,なると,某誌とか某々誌とかどうするのであろうとひとごとながら微かに諸行無常な世紀末である.まあDOS/●マガジンとか未だに健在なんだから,別に気にしないといわれればそのとおりなのだが.ともあれ,製品名を製品名に冠する限界はこの辺に如実に表れるのだな. そう,油断は禁物である.Visual Basicだっていつ何時改名しないとも限らん.来るべき日のために,備えあれば憂いなしである.ではどうするか. 「そのまま突っ張る」.一見乱暴だが,実はもっとも正当な対処に見えるだけにかえってつまらん.それに,どう頑張っても「昔の製品」の雑誌名であることに変わりはない.別に「最新でなきゃヤだ」とかそういうことでもないのだが,「サライじゃないんだから」とか云われると仰せの通り,それはちょっとまずかろう.じゃあサライじゃなきゃVOWでもヨイのかと云うとそういう問題でもない. では「そのまま変える」.これもまた妥当な振る舞いではあるのだが,そこまで弱気でヨイのだろうか.「丸呑み」という奴ですからね.「弱腰」「日和見」「傀儡」「癒着」「けだもの」(けだもの?)云々.ありとあらゆる罵倒が聞こえてきそうである.それも覚悟で改名するならいっそ潔いかも知れないが.「もっと突っ張る」.『Visual Basic Magazineマガジン』でしょうね.これなら誰にも文句は云われまい.ただし,何の雑誌であるかと問われると,私の眼を見て答えられるかな.んん. …と,こんな隅っこでいくら突っ張ってみても所詮ごまめの歯ぎしりである.暖簾に腕押しである.馬耳東風隔靴掻痒二階から目薬である.世間の耳目を集めるには,特集あたりで騒がないと駄目である.「第3特集:本誌誌名の将来像」.付録小冊子でもよい.ばーんとポスターもつけちゃう.しかし,某誌や某々誌より厚くなってしまったところにきて,まだ増やすと云ってもそうは問屋が卸さないだろうことは容易に想像がつく.それに,少なくともあたしゃ読まないね. と云うわけで新誌名は闇へと葬り去られる運命にあるのであった.理(ことわり)とはかくも酷薄なものである.しかし古来より名前というのは重要なものだったのだよ.貴族階級なんか,呪われないために本名(と生年月日だったかな)は隠蔽したものだ.おお.その手があった.隠す.名前を.さて何の雑誌でしょう.かくして振り出しに戻る.まあ読まれてから,あるいは後世,銘々が勝手に決めればよかろう.『Windows2000マガジン』とか? |
![]() 「本日のサービス品:牛肉切り落し」 別段瞠目すべき主張がなされているわけでもなければ,永年捜し求めていた希代の逸品,乃至は明らかに法律に抵触する製品の複製が無造作に投げ売りされている,てな種類の報道でもない.さりとて毒電波がわたしを貫くという例のアレでもない.なぜこの貼り紙に目を奪われたかといえば,唯それが花屋の店先に掲げられていたからである. その花屋の前を通り過ぎながら,脳味噌は確かにその貼り紙に示された文字列の主張を過不足なく把握している.「牛肉」で「切り落とし」が「本日」おそらく「安売り」されているのであろう.と,同時に脳味噌はその貼り紙を巡る情況を認識し,すべての判断を一時停止した. そんなこと云われてもなぁ.実際のところ花買いに行って肉買って帰れるかなぁ.仔猫もらってくださいぐらいなら反応のしようもあろうが.あ,でも肉も仔猫もお見舞いには使えない.いやそういう話ではなくて,いくら規制緩和でビッグバンでも,いきなり花屋が肉売り出してもらっても困るのである.それとも知らぬ間にそういう名前の切り花が流行していたのであろうか? 観でて満足食して美味しいおトクな新種. ―― 一般保護例外 続いて脳裏に浮かんだのは悲しいかなその六文字であった.便利な警告である.少なくとも「エラーです」と云われるよりは圧倒的に納得が行く.エラーですってそんなこたー云われなくてもわかってるのだよ. 早く帰って寝よう.よくわからない事態に遭遇するといつもそうするように,その時も貼り紙が視界から消え去るころにはそうひとりごちていた.経験則から云っても,こういう情況を何とかしようとすると恐ろしいばかりの徒労と時間が費やされることは明白である.まあ最初の頃は勇んで激突しておいたうえで,あとから爆睡するという前向きな対処も取ってはみたが,最近ではもう楽なほうから先に済ませる生活態度がすっかり身についてしまっているのである.やれやれ. ともあれ,あんまり不気味なので,それでも振り返って仔細に見てみると,件の花屋の奥には確かに肉屋がショウケースを構えていたに過ぎない.実にくだらんオチであった.赦されよ.しかしどうしてそういう店舗の構成にしたものか.「花を買う余裕があったら肉でも食らいやがれ」って云うのはいかにも乱暴だし.ポスト川島な●みをにらんだワイン業界の周到な戦略か? 考え過ぎは良くないことだ.街角はどうやら危険と誘惑に満ちているのである.比べてモニタの向こう側は思いのほか安全なようだ.デバッグでもして寝よ… |
![]() いやー,出ましたですね.Visual Studio 6.0.バージョンが90いくつも戻ってしまったなんていう化石の腐ったようなお約束ギャグはこの際置いといてですね,早く使ってみたいものであるです.「ものである」というのは,まだインストールしてないんですね.なにしろWindows 98のインストールだけでも一週間以上かかってしまったのだ.まあTypeIのSCSIカードやらLanManagerのドライバまでしかついていないNICカードやらを駆使しようとするからこういうメに遭うのだが,ともかく一息つかせてもらわないと次へはすすめませんわ. しかしこの調子では次のVisual Studioが出るまでに無事稼動させることなど到底無理である.荒唐無稽である.だいたいが,仮に来年の今ごろまでかかってようやく構築した環境で作るプログラムが「コンニチハせかい」や「びーぷ」だったりするとなるとこれはもう鶏割牛刀を通り越して諸行無常である.という諸般の事情により潔く断念した.今や,もはやすがすがしい気持ちで快適に過ごしている.過ごしてはいるものの,まあ悔しくもある.もう少しこうあれですよ,他のことにも役立ってくれたりするものならば,少々苦労してでもインストールしてみようかなーと思うのに.顧客満足というやつですね. そうですねえ,わかりやすいところでは「今日はわたくしめがVisual Studioのインストールに成功してから何日目です」てなメールを色んな相手に出しちゃうとか,そういう機能.それは毎朝誇らしい気持ちになるであろう.もっともインストールを実現できちゃったようなヒトなら,それぐらいのプログラムなどはもっとも得意とするところであった.これではあまり有難くない.じゃあ,兵役が免除されるとか,大型特殊二種免許の路上教習が一割引きになるとかっていうのはどうだ.しかし法律が絡むとなると,さしもの史上最大のソフトウェア会社とて少々厄介かも知れない.然れば,残るは芸能界だな.何といっても経済的見返りが大きい. ところがここにも少々不具合が残っていて,せっかくデビューしたは良いが,なにしろ名前がVisual Studio 6.0である.略称はVS6である.ジャニーズ事務所関係と対決するようなことでもあると“V6 vs VS6”となってはなはだ都合が宜しくない.どうも決め手に欠けるのである.何とかして欲しいものである.このままいちいち「いやー実はインストールできなかったんですよ」とか答えるのも癪に障る.「それがですねえ,これ以上稼働環境が増えると独占禁止法に抵触する恐れがあるんじゃないかと」,人のせいにしてしまうのがもっとも無難である.ご明察の通り,これを書いている時点ではまだ発売されていないのであるがゆえに,仮にも発売延期になっていたりすると些少ながら責任を感じないでもない… あたしゃ司法省と通じてるワケじゃありませんからね. |
![]() さてこの連載も前号めでたく完結した.然らば今回は書くことがあろう筈もなく,もう一度はじめから繰り返す.ってなことをすると何が飛んでくるかわからんのでやむなく以下のような事象の報告をする. そもそもこの夏は,うしろあたまにひっかかっているあのヘッドフォンの柄がどうにも落ち着かないまま過ぎ去ろうとしている.世事に疎いゆえ,最初に目にしたのは何気なく見せてもらった女性誌の広告であったが,その時は「女性誌には珍しい圧倒的なジョーク(広告)」だろうと信じて疑わなかった.ある朝通勤途中で見かけたときはそりゃー驚いたものです.現物を先に見掛けていたら,思わず目を背けていたことだろう.まああれが良くないとか,良くないから売るなとかそういうことを云いたいのでは決してないのだが.しかし「これが新しいの」「これが良いの」「次はこれなの」と云われているのも面倒だ. さらに云うとW杯真っ盛りの頃,街で頻繁にみかけた「あのセーネン」ルック.そう,茶髪短髪で細い色付きの眼鏡をかければ,ほーらあなたも… 一人二人のうちは微笑ましい苦笑いで済んでいたものの,一日外出している間に数え切れないほど,それこそ取り囲まれたかと思うほど遭遇するとさすがにうんざりである.特に小太りのきみ,人間諦めが肝腎とは思わないのかね. いやまあそれも1998年のある初夏の不思議な現象として歴史の忘却に委ねよう.そしてこの夏のもう一つの現象といえば,いささか旧聞に属するとはいえ,あの市場占有率を誇る爆発的に有名なオペレーティングシステム(まわりくどい.Windows 98だとも)の発売だ.「新しければ良いのか?」「皆なこれになるから仕方ないのか?」てな疑問をケムに巻いて,いや巻かれちゃいないような,いずれ定着するであろうシロモノには相違ない.一部ではあれは本命の製品が出るまでのつなぎだろうと云われてもいるが.そういう意味では先般国会の第一党の総裁に就任したあの人もそんなことを云われていたかも知れない.と,いうことはだ,Windows 98は「新型ヘッドフォン」と「自民党総裁」の両者の特徴を兼ね備えたオペレーティングシステムと定義することができる.ううむ,20世紀最後のOSと呼ばれるからには確かにただものではないのかも知れない.考えれば考えるほど画期的な製品である気がしてきた.こうして書いていてもつい使ってみたくなってしまうほどだ.そんな摩訶不思議なモノが世界のオフィスで家庭で世界中で… 話しは戻ってあのうしろあたま,おうちに帰ってはずそうとしたら,荷札とかハンガーとか釣り針とかひっかけられててあれれれ,てなことはないのだろうか. |
![]() 考察「パイ投げ理論」 そもそもこのコラムは様式美について考察するために設けられたものであった.そうであった.そうですよね? 気がつかなかったヒトは,「読んだことがない」または「そもそもまともに読む気がない」または「そんなこと書いてないじゃん」または「日本語が苦手」または「様式美ってナーニ?」という方だと思われる.本誌の読者として深く反省してもらいたいものである.反省文は編集部まで.メールの宛先はvbmag@shoeisha.co.jp.書式は問わないがあまり長いのはダメよ.あと添付ファイルもなしってことで. さて,様式美である.そりゃあ彼だって好きで投げつけられているワケないだろうが,それでもバウムクーヘンやらピザやらフリスビーやらが顔面めがけて飛んでくるよりは,納得が行くってもんだろう.今ごろナニいってんだオメーはというご意見もおありでしょうが,いったいいつごろどこの誰がパイ投げを思い付いて実行したのであろうか.モンティ・パイソン方面に詳しい方ならご存知だろうか. ともあれ,これは,とりもなおさず「本来食物であるところのパイを顔面に向かって投げつけてその結果を楽しむ」という“ハレ”の行為が,「まあふつう投げるでしょ.パイ」という具合に“ケ”として広く世間に定着したことの証左であろう.なぜ定着したか.それが様式美にかなっていたからに相違ない.そんな無茶なというなかれ.それが様式美というものなのだよ. ところでパイである.この様式美から定義されるところのパイは,「食べるもの」かつ「投げるもの」という属性をもつ特異な円盤様の存在ということになるであろう.これをベン図であらわすと次のようになる(図略).これがいかに人智を越えた存在であるかは誰の目にも明らかである.人類史上いつだれがいかなる目的と用途で丸くて投げられる食べものを考察し得たか!! パイ投げ畏るべし! ふつー投げません.そんなもの. すまん,今回は暑くて何も書く気がしなかったのである.そういうあなたもおそらくまともに記事を読む気がしないからこんなところを読んでいる,とわたしは信じるのだが. |
![]() 「そういえば,三田の事務の女の子,ウィンドウズロゴを『三田』特注システムのマークだと思ってたんだって」 「…(爆)」 唐突ですまない.先日慶應OGとこんなやりとりがあったもので,思わずウィンドウズ再起動してしまいました.そう,マドが空に浮かんでいる,ちょっとクラゲに似たあれのこと.いわれてみてれば,確かに「三」は青空にたなびき,「田」の字も誇らしげに豪華4色塗りである.ちょっと歪んでいるのはご愛敬,いやそれがデザインたるゆえんであろうか.まぁ天下の一万円札肖像画の前にはBill.G氏といえども一介のロゴデザイナーだったということだ.福沢先生侮りがたし. しかしながら,OSやアプリケーション起動時に表示されるあのロゴは実際のところいったい何なのだ.この上なく美麗な写真とか心和む絵画とかならばともかく,あれを毎日毎日何度も何度も見せられるとさすがに苛立たしいものがある.急いでいることだってあるのだ.見飽きているから退屈だし.ことに毎朝起動するOSの場合は辛い.出社直後,ということは通勤直後なわけで,そうでなくてもうんざりしているトコロにそれは酷というものだ.とどめを刺されたような気分である.「今日もまったく同じだよ同じだよ同じだよ」という呪いをかけられてだ. いや確かに毎日うんざりしてはいるけれど,別に寸暇を惜しんで働きたいというほどには勤勉でもないし,そこまで忙しくはない.そう,大抵はそこまで忙しくなんかはないのだ.最近気がついたのだが,動く歩道で歩いてしまったり,エスカレーターを登っちゃったりしているのは,急いでいるからじゃなくて退屈だからなのだ. では,退屈させてくれなければよいのかというと,それはそれでちょっといやだ.たとえばある朝OSの起動時にモナリザが現れて破顔一笑なんてされた日にゃ,その日一日ウィンドウズと付き合う諦めがつかないね,わたしならば.あとおもむろに落ち物ゲームがはじまってもちょっと困る. そういう意味では,VBなんかの場合はいくぶんマシといえるのかも知れない.Service Packをあてた直後に起動して,そういってくれるとその時ばかりは「うんうんそだねー.わかってくれるのはオマエだけたよ」ぐらいのことは思うかも知れない. もちろん,そんなに嫌なら表示させないようにしてしまえばいいだけの話だが,問題はそういうところにあるのでは,ない.なぜアレを作ったプログラマはああいうロゴを起動時に見せたかったのだろう.まぁそれをサービス精神と感じるかおせっかいと感じるか,ただのCMと感じるかはその日その人に依る問題なのでこれ以上は追求すまい.ともあれ,毎朝事務長が「今日も頑張ろう!」とかいう特注ロゴじゃなくてよかったよね,三田の事務の女の子. |
![]() そういえば世の中いつまでたっても電子ペットブームである.かつての電子熱帯魚にはじまり,たまごっち,ポケモン,ポストペット.ほかにもあるでしょうな,柳の下から消えていったヤツが.ご愁傷さまなことだ.しかーし子供ばかりに遊ばせておいてよいのか.それはいけない.そこでオトナも遊べる電子ペットの決定版“ポケットVisual Basic”愛称“VBっち”. 開発環境ではなくて棲息環境はMicrosoft Visual Basic.あとVisual Studioだったりすればもうそれだけでブルジョアである.んでご多分に漏れず世話をしないと弱るグレる死ぬ.グレて育つと大変だ.コメントを勝手に書き換えてお客さんや偉い人の悪口をならべるなんてえのは可愛いほう,違法で手に入れたコントロールに限って端からロードしてきてめちゃめちゃ重くなるぐらいは朝飯前,デバッグ用のサブルーチンがなぜか製品にコンパイルされていてああらびっくり,ついでにOfficeが一式起動してしまって大混乱.しまいにゃあバーチャルマシンを手下に従え(以下自主規制). そんな目にあいたくなかったらちゃんと育てるように.夜なべで仕様書も繕っておくとか,妙なCLSIDがシステムに紛れ込みそうになったらすかさず追い払うとか.コメントは丹精こめて書くべし書くべし書くべし.もちろんウンチの世話も欠かさない.ブルジョアの場合はそのうえ世間体も保たねばだ.間違っても地下室でマリファナパーティーなんかさせちゃダメよ.こうして手塩にかけてそだてたコは誰かと交換するとすごく強くなる.これが強い.どのくらい強いかというと環境を自前でバージョンアップしてしまう.おお,いつのまにかVB 17.3βになっているぞ.なに,VBマガジンの夕刊が届いた? 先週日刊になったばかりと思っていたら.購読料が払えないんですけどー. 日刊? それはまあこれ以上追求すまい.いずれにしても可愛いですよほんと.勝手にプログラム作ってくれるし,お宝は拾ってくるし,もう左団扇ってやつですね.コンテストなんか出しちゃって優勝するとTV CFからもお声がかかる.「日本一のVBっちブリーダーが推奨する云々」.チマチマちまちまコードなんて書いてられっかってえの. ギャンブル精神をもつ子煩悩なあなた,これでもVBっちをインストールせずにいられるのか? え? どこにあるのかって? |
![]() みなさん,こんにちは.1ヵ月元気に,あるいはおとなしくプログラミングしていましたかー? せんせいは使い古しのPCに囲まれて幸せな毎日です.年度末でリース切れが続出し,替わりを用意しなくちゃならないのである.旧いドライブやらカードやら組み合わせて動作確認.なかなか味わい深いものですわ.まあ味わい深いだけでほかにこれといって利するものがあるわけでもない.手は傷だらけになるし,汚れるし,周りからはただのお気楽モノあるいは古本屋の因業あるじもどきとしか見られない.これがもう少し人様の役にたつものだったらですね,もうちょっと違った目で見てもらえるであろう.えーとですね,電気機関車とか. なんで電気機関車なんだよとおっしゃるかも知れないが,しかし電気機関車.お勧めはEF65だったかな,両端にデッキがついている茶色の汚いヤツね.ああいうのを修理しちゃう.で,動作確認.動くことを確かめたらおもむろにどうするかというと自宅の庭先に持ち込む.そんな庭先あるもんか,そうおっしゃる向きもあろうとは思うが,その時はその時考えればよろしい.だいたいどうやって運ぶんだとか心配しないように.そういうものを置く庭先があるような場合は運ぶ手段ぐらいなんとかなるものである.で,庭先に置いてどうするかというと愛でる.2000馬力と2500馬力の体感差なんぞ誰もわかっちゃいないのである.宴なんかも良いのではないだろうか.大振りの盃の水面に映るEF65をぐびっと,ぜひ. ぜひと云われても大抵の方は困っちゃうだろうけど,でもあれだ,多少旧くてもだな,ちゃんと本来の目的に適って動くというところがミソだな.いや庭先では無理ってものだが. しかも「今」「此処で」動かすことに必然性がない.金輪際まったくない.しかし実際は結構役に立ったりする.で,そういう役に立つ電気機関車をですね,まるで役に立たない使い方で使う.というか使わない.というかある種の様式美と云えよう.あるいは云えないか.ソフトウェアとて何ら変わるところはないのである.Visual Basicの1.0なんて動かしてみたいと,思ってるでしょ? 典雅である.典雅にして質実剛健.思わずコード書いちゃったりして.「おおお.ピリオドを打っても候補が出てこないぞ」とかね.いやまあ無理にとまでは云わないが… |
![]() もし,電気が発明されず,動力がずっと蒸気機関のままだったら,という不精な仮定にもとづいて,バベッジ卿の生涯を巡る社会を再構築してみせたのが,サイバーパンクの二大巨頭ウィリアム・ギブソンとブルース・スターリングの合作『ディファレンスエンジン』である.本誌の読者にはご存知のかたも少なくあるまい.関係ないがスターリングのような髪型をしたガキを見かけなくなって久しいがあれはどこに行ったのだろう. 閑話休題. さて,それではVisual Basicが生まれていなかったら.(この雑誌でそんなことを考えるのはビデオデッキのふたを開けて納豆をブチまけるほど©吉田戦車 恐ろしいコトだが)時は1990年,若き青年実業家B.Gates氏(仮)は考えた.「BASICは純潔で純血でなければならない.イベントドリブンだと?! 行番号を廃止するだと!!! GoToは使うなだと!!!! そんなものがBASICの名前に値するとでも思っているのか(怒)なんと嘆かわしい,なんと汚らわしい(続く)」かくして,BASICは学習教材言語として独自の発展を遂げることになった.それはもうすごいよ.街には英会話教室と同じ数だけBASIC教室がある.中にはエクササイズとBASICを両方教えるところもあるし,母親の関心事といえば我が子が何行までプログラムを書けるようになったかだけだ.いやそんな話ではない.すまん. 一方,肥大するWindowsアプリケーション市場では,高生産性を実現する開発環境が切望されていた.そこに救世主のように登場したのが,ええと何にしようかな,やっぱりVisual C(C++ではない)である.や,多分違うな.COBOLだな.イベントドリブンでオブジェクト指向的なCOBOLコンテナ.大型機のプログラマは喜んだね.ううむ.ちょっと見てみたい気もするな.しかし待たれよ.Visual COBOLだと略称VCになっちゃって販売上はなはだ好ましくない.別のにしよう.Adaなんかどうだ.Visual Ada.VA.オブジェクト指向にしてVA++.VC++とVA++でなんかかっこいいし.あとVB++ってのもあるといいかもだな.「Visual StudioにはAからCまで」.ほら,いいコピーになりそうでしょ.何かないかなー.Bで始まる言語….ついでに来年はDも出そう.Dならアレしかないでしょ.Visual Delp(ピー) ここで問題です. 1)みんな幸せだろうか? 2)「あなたのBASIC添削します」って通信教育受けたひと,ハイ手挙げて. |